2020-11-13 第203回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号
そして、その小渕内閣で官房長官兼沖縄開発庁長官を務めた野中広務さんも、京都の園部町長時代に占領下の沖縄を訪れました。宜野湾市嘉数の高台に京都出身の戦没者の慰霊碑を建てるためであります。そのとき、空港から乗ったタクシーの運転手が、宜野湾市に入るところで車を停車させ、この場所で妹が殺された、アメリカ軍人ではない、暗に日本兵にということを言っていたそうであります。泣き続けていたと。
そして、その小渕内閣で官房長官兼沖縄開発庁長官を務めた野中広務さんも、京都の園部町長時代に占領下の沖縄を訪れました。宜野湾市嘉数の高台に京都出身の戦没者の慰霊碑を建てるためであります。そのとき、空港から乗ったタクシーの運転手が、宜野湾市に入るところで車を停車させ、この場所で妹が殺された、アメリカ軍人ではない、暗に日本兵にということを言っていたそうであります。泣き続けていたと。
町長時代の平成十五年にひよこの家という施設をつくりました。この施設は、不登校と呼ばれている子供たちに対して文部科学省が行っていた学校復帰を前提とする適応指導教室という全く機能していない文科省の施策に対するアンチテーゼとして私はつくりました。
当時、浜田倫三町長時代に議長をされていた、一瀬さんという方が町議会議長をされておりました、一瀬さんが後に同僚の町議に語ったところによりますと、いやいや、あれは九億なんかじゃないよ、二十五億だったと森山メモに書いてあったと、当時の議長さんが証言されております。
きょうは私の秘書がそこに来ていますけれども、私の秘書は、おじいさんが静内の町長をしていたんですけれども、その町長時代にシャクシャインという、近代になる、江戸時代ですかね、江戸時代の大反乱が日高を中心に起きます。そのシャクシャインの反乱は結局鎮圧されるんですけれども、その慰霊のために銅像をつくられた方のお孫さんなんです。
また、私自身は、ニセコ町長時代もそうでしたけれども、公共投資を相当やりました。今も、道路、港、空港を始めとする社会資本整備、必要な公共投資は確実に行うべきだというのが私の立場でありますので、また御理解いただきたいと思います。 時間もありませんので、簡潔に御質問させていただきます。 まず高橋会長ですが、北海道全体の課題をお話しいただきまして、ありがとうございます。
僕と同じじゃないか、考え方がと思って、気が付きましたら、実は僕も町長時代にニセコのことを一生懸命研究して、まねさせていただいたんです。ありがとうございました。 町長さんがおっしゃった予算のこと、うちの町は予算のあらましということで全戸へ配付しましたけれども、これもまねさせてもらいました。
例えば、私が町長時代からずっと声を上げ、そして実現してこなかったものの中に、いそ焼け対策、イカゴロの海中投与というものがあります。 環境省の方では、これについては、一定の制約をかけながら、海を汚さないような工夫をしながら行うということについては是としているというわけでありますけれども、しかし、運用面ではなかなかそうもなっていないというふうに考えています。
国旗・国歌につきましては、私自身、京都のいわゆる昭和二十四年から昭和五十三年まで七期二十八年間、蜷川虎三という一人の知事で、最後には、共産党を骨まで愛するという本会議場の答弁まで出てくるようなそういう知事の下でおりましただけに、教職員組合を始め激しいまた組合活動に直面をいたしまして、必ず町長時代から国旗・国歌について交渉の矢面に立ち、また非常に苦い思いを続けてきた人間でありますので、この校長さんの痛
であるならばということで質問させていただきたいと思うんですが、道路の維持、修繕を適切に進めていくためには、地方整備局や国総研、国土技術政策総合研究所、さらには、ここから分離いたしました土木研究所、私も町長時代、職員が大変お世話になったのでありますけれども、こういった国の機関のバックアップ体制というものも逆にしっかりと構築されていなければならないのではないかというふうに思うのでございます。
さまざまなことを考えていかねばなりませんけれども、その中で、もちろん国からはさまざまな少子化対策というものが打ち出されてきましたけれども、本当にこの国の人口減少を食いとめていこう、そして、人口をある程度キープさせていかなきゃいけない、もしうまくいくんだったらふやしていかなきゃいけない、そういう強い熱意というものは、私は、町長時代に、実感としてなかなか感じることができませんでした。
私自身も町長時代の経験からそれを踏まえさせて言わせていただきますと、やはり七・八%、まあ一〇%近い給与の削減というのは公務員労働者に相当大いなる負担を強いるものであるという認識をいたしております。そういうことから二年間という時限を区切ったものでございます。
○市村大臣政務官 川口先生におかれましては、町議、町長時代を通じて循環型社会の構築に努め、大変御尽力賜っているということでお聞きしておりまして、本当に敬意を表します。 お尋ねの件でございますが、川口先生御指摘のとおり、大型船舶のリサイクルは、主に発展途上国、労働コストが安いということがありまして、そこで主にやられているというのが現実でございます。
○大臣政務官(逢坂誠二君) 寺田委員から御指摘のあった予算の話ですが、私も町長時代に三位一体改革のときに、一般会計五十億強だったものを三十億台まで圧縮するということをやりました。それぐらいやらないと乗り越えられなかったというのが現実であります。
一つは、私は前から、町長時代からそう思っていましたことは、全国画一的な道路の規格、設計というものは、地方におきましても都会と同じように、または国道並みの、または高速道路並みの道路が地方道の中にもあるわけなんですね。こういったものは、幅員を減らすとか、そういった規格、設計の改正によって、今仕分け事業ということがなされておりますが、相当無駄をなくすことができるんじゃないか。
国会へ来てからは金子大臣と質疑をするのは初めてなんですけれども、以前、ニセコ町長時代に、ある会合でお世話になったことがございました。そんなこともございまして、また改めましてお世話になります。よろしくお願いいたします。 きょうは、十月一日にできました観光庁のことについて主に話をさせていただきたいと思います。
ところが、実は私がニセコの町長時代にこの文書をいただいたんですけれども、確かにこれは建前であるけれども、本当に現実に下水道会計というのはそういう実態になっているかなというふうに思いまして、昨年の五月十二日の国土交通委員会でこの点確認させていただきました。
御承知のとおり、私、先ほど大臣から町長時代の話をしていただきましたけれども、余りいい町長でもなかったんですね。余り評判のよくないところもありまして、首長をやっていれば大体そんなものなのでありますけれども。 そのときの感覚からすれば、いや、これは、総理にあんなことを言われちゃって、まあまあ、北海道も大変だべな。
それで、私が当時町長時代に、北海道町村会の、だれでもつくれる紙のパウチの手書きの身分証明書を見せたら、フリーパスなんですね。一体これはどうなっているんだということでありますね。すなわち、そもそも足元からの認識がおかしいのではないかということが一つあります。
いつぞや、当委員会での質問の折に、町長時代、県庁や霞が関や永田町を、割のよい補助金や財源になるものはないかと、とにかく探して探してさまよって歩くのがとても大切な大きな仕事だったとお話ししましたら、委員の皆様から非常に大笑いされたのでございますが、冗談でなくて、本当に財源確保に市町村長はきょうも苦心惨たんしておると考えております。
○国務大臣(武部勤君) まず初めに、植樹祭に触れられましてお話がございましたが、先生のふるさとであるということも承知しておりますし、岸先生が町長時代に大変な善政をしかれたその成果を見させていただくということも楽しみにしております。 林業関係の皆さん方と御懇談をいただき、率直な御意見等を伺う機会があれば有り難いと、こう思っておりまして、どうぞまたよろしく御協力をお願いしたいと思います。